毎日に恋をして生きよう

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キライなものには、スキが隠れている

仕事帰りに小さい女の子2人が、同じ服装、同じ髪型をして手をつないで歩いているのを見て心が和んだ。かわいいよね〜♡

 

と、いまなら癒されているけど、ここ最近まで私は子供がキライでした。

 

 

うるさいし、人のこと考えないし、かわいさなんて1ミリも感じない!って思ってた。

外国人の子供なら可愛くてオッケーだけど、日本人の子供をかわいいと思えなかった。だから外国人に憧れて英語をめっちゃ勉強したし、外国人の彼氏を作ったこともあるんだな。

 

 

今なら、なんでそうだったのかがよ〜〜〜く分かる。

 

 

日本人の子供を可愛いと思えなかったのは、自分のことがキライだったから

 

目鼻立ちがパッとせず、童顔で、いつも年齢より若く見られる自分のことがキライだった。

だから、外国人顔に憧れて、将来子供が困らないように、そして自分も、自分の要素が入った子供をみなくて済むようになりたかった。

 

 

 

うるさかったり、自己中な子供を見てイライラしていたのは、

本当は私も、自分の欲求を我慢せず外に出したかったから

わがままとか、素直な気持ちとか、人の顔色を見ずに言いたかったから。

 

 

私はこんなに我慢してるのに、アイツらときたら・・・・!って勝手にイライラしてたの。彼らにも我慢を強要しようとしてたの。

 

 

 

 

そしてね、そういうことを一個ずつ掘っていったら

私は本当は子供が大好きだったんだってことに気づいた。

 

 

 

四六時中お世話したくなる。

一緒に遊びたくなる。

可愛い。

 

 

だけど、それと同時に、「この愛しい存在と離れてしまうことによる自分へのダメージ」を拒絶してた。

 

 

実は私はお父さんが転勤族だったので、転校を幾度となく繰り返している。

いくら友達ができても、いずれは離れるということが数年おきに繰り返された。

そのため、「仲良くなる=いずれ別れる」という公式が潜在意識に刷り込まれていた。

 

 

どうせ離れるのなら、はじめから仲良くしたくない。

離れるのがつらいから、出会うのも避けていた。

 

 

でも蓋をあけてみたら、ものすごく好きだったというオチ(笑)

 

 

なにかキライなものがあるとしたら、なんでそれをキライなのかを考えてみて。

そうすると、必ずと言っていいほど、キライの中にスキが隠れているよ。