やり方だけを真似ても、その人にはなれないじゃない
かつて、パワハラ上司の存在に苦しんでいた時に学んだことがある。
当時私は、エステティシャンだったが、パワハラに耐えられず精神科でうつ診断をもらい休養していた。(毎日ひたすらぼーっとしていた。)
ただ、エステの仕事や、親会社の化粧品は好きだったので
その上司がいない店舗でもう一度頑張ろうと思い
他店舗のマネージャーを訪ね、話をする機会を作った。
私の上司は今までとっても苦労してきた人で
本人は多くを語らなかったけど、努力と根性でオーナーに登り詰めた人だった。
(女性を相手にする仕事なのに、専業主婦やパートで働く人をバカにしていて、
ああ、本当は羨ましいと思っているんだなと強く思ったことを覚えている)
従業員の育て方も、上司が成功したやり方をそのまま再現させ
できない事は個人の非だと、性格が悪いからだと、強く責めた。
それで辞めていくならそれまでの人材、という考えの人だった。
対して、私が休業中に会ったマネージャーは、人の個性を尊重する人だった。
「私が成功したやり方を教えたところで、それはあなたではなくなってしまう。
だから私は、その人の個性を見て、その人に合った育て方をしたいの」
そんな素晴らしい考えを持った人だった。
私はその時、上司といってもいろいろな種類の人がいるんだなあ、と思った。
仕事に復帰したら、またパワハラ上司の元で頑張ってみたいとおもったけれど
個性を尊重してくれない人の元に戻ったところでなんの意味があるのか?と思い直し
その職場を去る決断をくだした。
それまで私は自己啓発本やだれかの成功体験を読んだり、聞いたりすることが好きで
仕事についても、上司の成功体験を踏襲することに何の疑問を持たなかった(むしろ、それが正解だと思っていた)けれど
誰かの成功体験は所詮、誰かの話であって
私の物語ではないんだなあ、私だからできることや、私だから活かせる強みがあるんだなあ、と思うようになった。
私は、他人の成功体験を妄想することで、あたかも自分が成功した気分になっていたのだ。
それは傷つかないし、とても楽なことだった。
(パワハラ上司にも、あなたは妄想をしているだけ、と何度も罵られた)
それからというもの、自己啓発本を読むことはなくなり
手探りで一歩一歩、自分の歩みを大切にするようになった。
誰かのことがきになるとき、誰かの成功に焦ってしまうとき
それは自分に集中できていないサインだから
どうかそれに気付き、自分に矢印を向けて欲しい。
やり方を真似ても、その人になることはできない。
自分はどんなことが好きで、どんなことに興味があるのか?
そのことに注目してみると、だんだん他人のことがきにならなくなるよ^^
ほんとだよヾ(*´▽`*)ノ
おしまい