孤独を愛して突き詰める覚悟
物心ついた時から、ふと「私は何故ここにいるんだろう?」と思うことがあった。
弟と母が話している場面が、靄がかったスローモーションのように映り
私はぼーっと宙を見つめている、という出来事を幾度となく思い出す。
祖父が両方とも小さい頃に亡くなったことや、いつもなにかしらの生き物を飼っていて
その死を身近に見てきたことから、なんとなく死生観というものはできていたのだと思う。人はいずれ死ぬことや、人間の感情には変化があること、永遠なんて無いのだということは子供ながらに強く思っていて、だから「冷めている」と大多数の人間から言われていたのかもしれない。
冷めている、という悲しい現象は、出来事に対して人一倍敏感に感じてしまうからなのだと思えるようになった。
本当はお気楽に鈍感に生きたいのだけど、あらゆることが見えすぎてしまう。
まだ見ぬ人の声や視線が気になってしまい、その妄想に取り憑かれて動けなくなることもある。
それは私の根っからの性格で、超えなければいけない壁なのだ、課題なのだと今までは思い、克服するために色々な修行をストイックに重ねてきた。
ただ、昨日この本を読んだことで、私は私のことをまた一つ知ることができたのだ。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
- 作者: 武田友紀
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2018/07/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
繊細さは直すべき課題なのではなく、生まれ持った気質である。そしてこれを活かすことができればラクに元気に生きることができるのだという。
そしてその鍵は、「自分の本音に忠実に生きること」だとも書かれている。
まさに今、乗り越えようとしている壁なのだと思った。
小さい頃、押入れの中に積まれていた荷物を見た瞬間に、それらが一斉に落ちてくる映像が見えた。思わず悲鳴をあげた瞬間、それらは落ちた。(今度こそ本当に)
あれはなんだったんだろう?と不思議だったのだが、どうやらそれは、私の見えすぎてしまう能力のせいだったようだ。
繊細な歌詞や、繊細な文章で涙が出てきてしまうのも、自分がそれに呼応する感性を持っているから。
ちょっとした言葉で傷ついてしまうからこそ、殻を何重にもまとって気づかないようにし傷つくことを避けてきた。
だけど、もうそれは終わりにしようと思う。
前のブログは、私の経験が誰かのために役立てば良いと思って書いてきた。
今でもその思いは変わらない。
だけど、いつの間にか、書きたいことではなく好かれる文章になっていたように思う。
私は私が好きだと思うものを見て、触れて、表現して生きたい。
そう思うから、自分のために書いていこうと思う。
この生き方が、あわよくば誰かのためになりますように。そう願う。