空を見上げて、幸せだと思う
朝起きて、お天気が良かったので庭の水やりをした。
シャワーノズルで出した水が、宙を舞う。
太陽できらめいて、虹ができる。いくつもできる。
それを見て、なんて幸せなんだろう、と、胸の中から暖かい声がした。
1人で暮らしていた時は、緑に憧れつつも都会の喧騒をBGMにして
コンクリートに囲まれた無機質な部屋で出来合いのお惣菜を食べていた。
いつか自然の中で暮らしたいと願いながら。
実家に住んでいた時も、そして実家に戻った今も
すぐ目の前に生い茂る緑があるのに目もくれず、「都会の中の自然」「すぐ行ける大自然」をインターネットで調べ、外へ外へと駆けて行った。
本当の自然はいつもすぐそこにあった。私が望んでいた幸せの青い鳥は、物語のそれのように、すぐ目の前にあったんだ。
たぶん、いや、確実に私は、急いでいた。焦っていた。
世の中は便利すぎるし、疑問にはすぐに答えが用意されている。
より良い自分になるには?将来を不安なく生きるには?それらの情報を調べ、せっせと行動しても、肝心の心が伴っていないと結果に繋がらず、疲弊するだけだ。
外に向かう前に一度、立ち止まって自分を確認してみよう。
本当の望みはなにか?情報に惑わされず、自分の感情を優先しよう。
望むものは案外すぐそばにあるのかもしれない。
このことにたどり着くまでにかれこれ数年を費やしてきたから、最近は自分がまた感情を無視してないかを測るために質問を考えるようにしている。
それがこれね。
空を見上げて幸せだと思う余裕ある?
最近笑えてる?
空を見上げて幸せだと思う、これって究極に自分に余裕が無いとできない。
何事も、余裕が大事。
今この瞬間、喜びに溢れていることが超大事。
そういうことだと思うんだ。