毎日に恋をして生きよう

毎日がちょっと楽しくなる心理学のこと、環境問題など興味があること幅広く発信しています。

いつもその時にしかできないことをしていたい、と思った時のこと

25歳を過ぎたあたりから、「もう年だから・・・」「もうおばさん(おじさん)になった・・・」「こんな服似合わない、もうおばさんだから・・・」と、言う人が同年代に増えた。

 

はっきり言って、こういう自分を卑下する言葉は使わない方が良い。

言った方は冗談かもしれないが、言われた方は「言われてみると法令線が・・・」とか「そうか、もうこの人おば(おじ)さんなんだな・・」という風に、老いていることに注目してしまう。

また、「もう年だから・・」と言うことによって、新しいことに挑戦することを諦めるようになってしまう。

 

もし「もうおば(おじ)さんだよね」と、他人に向かって言ったらどうだろう?

「なんだよおい失礼だなw」と笑って言ってくれる可能性は0ではないが、腸は煮えくり返っているに違いない。

だから普通の人は他人に言わないだろう。他人に言わないような酷いことを、自分に言ったらダメだ。自分が可哀想である。

 

 

「もうおば(おじ)さん」と諦めるのではなく、「重ねてきた年の数だけ、経験値が溜まっている!人間としての深みが出ている!」という捉え方をしても良いはず。

年齢を重ねたら、その年齢にしかできない素晴らしいことや、その年齢だからこそ着こなせる服がある。年齢を重ねる、ということをもっと前向きな気持ちで捉えられるようになれば、人生はもっと豊かになる。

 

先日、公園をお散歩していたら、おじいさんに話しかけられた。

(ネコが公園の隅っこでお行儀よくうん◯をしているのを感心して眺めていたら、隣で一緒に眺めていた人がいた。それがこのおじいさんであるw)

 

若い頃はバリバリ仕事をしていたが、今は定年し、奥さんを亡くして一人で暮らしていると言う。

 

「お金だけあげるから、好きなことしていいよって言われたら耐えられる?オレはもう耐えられない!やることが無くて辛い!」

 

と嘆いていた。

私は耐えられる。

好きなことをして良いんだったら好きなだけ好きなことをしたいと思う。

 

なぜ同じ人間なのに、意見が真逆なのだろう?と考えていたのだけど、それは私の年齢と体力、柔軟に物事を考えられるかどうかの違いではないか。

 

私は今20代だから、きっとおじいさんよりも体力があるだろう。夜行バスに乗ることも、船に乗って移動することも、安宿で体を丸めて眠ることも苦ではない。

そしてインターネットを使えば、世界中の人と一瞬でつながることができ、同じ趣味を持つ友達を見つけることができる。やりたい、と思ったことをどんどん実行できるのは、若い時の特権かもしれない。(そう思うと、いつか行こうと思うところには年をとったらいくことが難しくなるかもしれないよね。行ける時に行かないと。)

 

おじいさんは確かに知識が豊富で、旅行もたくさん行っていて知識があった。

それと同時に、文句をつけることが多かった。(あの国はブスばっかり、あの国はメシがまずい)

もし、物事を柔軟に捉えることができたらもっと違うものの見方ができたかもしれない。「あの国のメシはイマイチだったけど、日本で食べてみたらどうだろう?」と食べ歩きが趣味になるかもしれない。旅レポを書いて世に発信できるかもしれない。

 

これまでの経験から培ったもので、誰かを喜ばせることができるかもしれない。

若者が書く旅レポと、おじいさんが書く旅レポ、それぞれに良い味があり、それぞれにニーズがあるはずだ。

 

年齢というものには元来意味はない。
若い生活をしている者は若いし、老いた生活をしているものは老いている。(井上靖ー小説家)

 

↑この考え方好き。

 

 年を取ることは悪いことでも、恐ろしいことでもない。

その年にしかできない経験があり、その年だから味わえるものがある。

 

いつもいつも、その時にしかできないことがしたいよね。そうしたらいつまでも若くいられるでしょう。