もし世界に自分しかいなかったら、私は今の私と同じ生き方をしているのだろうか
ケシーさんという方のブログを読んだ。
これからの時代の生き方、働き方、豊かさについて考えた。
もし、世界中の人類が自分だけだったら、と思う。
誰とも比べることもなく、お金や住むところの心配をすることも無い。
そうなったとしたら、私は今と同じ場所にいて同じことをしているのだろうか。
誰かと比べたり、未来を心配して選ぶ選択肢で私の日常は埋まっているのではないか。
時を同じくして、最近は落合陽一さんの本を読んでいる。
彼は言う。今までは多数が選ぶ生き方を踏襲していればなんとかなったが、これからはごく少数の生き方を選んだ人が生き残るのだ、と。
みんなが言う普通を信じて、みんなと同じ行動をして生きる道は確かに安全だ。
わからないことがあったら聞けば良い。相談する相手もいる。
私には、どうもこう見えてしまうのだ。
みんなが選んでいるから大丈夫、と自分の頭で考えることを放棄し
いつの間にか大変なことになっていて、でももうなすすべもなく手遅れ、なんてことになりかねない。
私たちの親の世代はみんなと同じことをしていれば良かったのかもしれないが、その時代はもう終わったのだと自分自身に言い聞かせなければいけない。
対しては少数の生き方である。
これは周りに聞く人がいなかったり、理解者がいなかったりする。
自分も未知の世界であるので、自分を信じて歩いていくしかない。
とても怖くて不安だが、でもその先に見る景色は綺麗なものだと思う。
最初のブログの話に戻るが、もし仮に日本がこのような国になったら、ということを考えてみた。
これからAIが発達して、人間の能力を抜いていく。
そして職はAIが行うことになり、失業する人が増える。
景気政策のため、ベーシックインカムを導入することになる。
(ベーシックインカムとは、国民一人一人に決まった額のお金を支給することを言う。)
つまり働きたく無い人は働かなくてもお金がもらえる時代がやってくるのだ。
働きたい人はベーシックインカムをもらいつつもなお働けば良いという時代がくる。
そうなった時、「働きたく無い!!!」という人が野に放たれることになるのだが、皆会社に行きたがるのではないか、というのが私の考えだ。
なぜなら、小さい頃から良いサラリーマンになるように教育されている私たちにとって、「やりたいことを好きなだけやっている大人」という存在は想像さえしえない存在だろう。いざ自分が好きなことをやって良い、と言われたところで、「え?私の好きなことってなに?そもそも自分とは???」というところから立ち止まってしまう迷える子羊が増えるのではないか、と思っている。
そのような未来がいつくるかは分からないが、私たちの知らないところでテクノロジーは進化しているわけだから、自分が何を好きなのか、自分はどんな人間なのか、を今のうちからコツコツ知っておく必要があると思う。
そんなことを思ったよ。