毎日に恋をして生きよう

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束縛されたい病とその心理

ああ、束縛されたい

私にはこの心理があった。

 

束縛とは、相手に制限を加える事象を指す。 

 

具体的に言うと、

・毎日連絡を取ることを強要される

・他の男性との絡みを制限される

・リングやネックレスなどを贈られる

・キスマークを数カ所つけられる

 

これらは私にとって、とても心地良かった。

たとえ付き合って数日でペアリングを贈られたとしても、喜んでつけた。

 

とにかく束縛されたかった。

 

今になって冷静に考えると、あの頃はとにかく心理状態が不安定で、誰かに縋っていないと倒れてしまいそうだったのだと思う。

 

つまり、自分という人間にほとほと「自信がなかった」

 

1人で生きていく自信

誰かに愛される自信

存在する自信(そんなものがあるのかわからないけど)

 

誰かに必要とされることで自分という存在を認めることができた。

ペアリングを見るたび、キスマークを見るたび、「私は誰かにちゃんと所有されている」という幸福感があった。

恋人がいないことが、私の中での自分の存在価値を図るバロメーターだったのかもしれない。

 

今思えば、誰かに所有されるということは、その分だけ「他の誰かとの接触を制限される」という状況に他ならない。

 

電車の中で運命の出会いがあるかもしれないのに、私はこうしてペアリングを光らせ、誰かに所有されていることに満足し、俯いている。

私はある時、この状況を俯瞰して、「怖いな」と思った。

洗脳が解けた瞬間だった。

 

私の本当の望みは、所有されることだったのだろうか?

私を必要としてくれる人を見つけたと思っているだけで、それは一生一緒にいたいほど好きというわけではないのではないか?

こうしている間にも、たくさんの可能性と時間を無駄にしているのではないか?

 

 

そう思った。

つまり、私は単に自信がなかっただけで、

私に必要だったことは恋人をつくることではなく、自分の可能性を拓き自信をつけてあげることだった。

 

 

それに気付いた瞬間から、彼への依存をちょっとずつ辞めた。

ペアリングはしなくなり、連絡の頻度も減った。

 

もし束縛されたい、という願望がある人がいるとしたら

「それは何のために?」と立ち止まって自分に聞いてみて欲しい。

 

もし、束縛されることで自分の存在を確かめているのなら、それは違うと思う。

恋愛以外で自分の存在を表現できることを探して欲しい。

 

そう思った。