疑うのは、自分ができるから
今日、メダカの赤ちゃんが産まれました♡
卵を採取してから寒い時期が続いて、卵もだんだんと黄ばんできちゃって、もうダメかなあと思っていたところだったから、本当に嬉しくて小躍りしましたw
大切に育てます(*^^)v v(^^*)
さて、今日は、疑う=自分はそれができるから、という法則を発見したのでそれについて。
恋愛にするとわかりやすいですが、彼氏が浮気をするんじゃないか、飽きてしまうのではないかと不安になりやすい人は一定数いると思います。
実は私がそうで、彼氏ができると嬉しい反面、ネガティブな気持ちになってしまうこともたくさんありました。
そんな時、なにかの恋愛記事を読んでいて気付いたことが
相手が浮気をすると思う=自分は浮気することができるから、なのではないか、と。
あくまでも私の例ですが、私はフットワークが軽く誰とでもすぐに友達になります。
男性とやりとりを重ねることも、二人きりで会うことも、電話をすることも、付き合っていなくても簡単にできてしまいます。
人間が好きなので、異性だからって線引きすることはおかしいと思っているのです。
ただ、「お前は優しいから男がすぐに勘違いする」と親しい男友達に言われたとおり、分け隔てなく接することで相手との関係がぎこちなくなってしまうこともたまにあります。
また、前々職の営業アシスタントで複数の取引先と常に並行してやりとりを行っていたおかげで、複数の人と連絡を取り続けることが容易にできてしまいます。
そういった背景がある上で、私は私が簡単にできてしまうことを他の人もできて当然だと思っていたのです。
きっと相手も、複数の人と連絡を取り合っているだろうし、会ったりしているんだろうなあと思ってしまっていました。
これは他の例を出しても同じです。
自分がもし、女子会で悪口を言っていたなら、女子会=悪口を言うところだと思い込みます。自分が参加していない女子会では、きっと自分の悪口を言われているんだろうと疑うこともあるでしょう。
疑ってしまうのは、自分ができてしまうからです。
なので、どうせできることなら、自分が相手に愛を注いでいるところをイメージすることにしました。
複数の人と他愛ないやりとりをするのではなく、好きな人だけに絞って、愛を伝えていくようにしました。
すると、彼のことが愛しくて愛しくて仕方なくなったのです。
疑う気持ちがどっかに消えて、これだけ愛しているのだからきっと相手も同じ気持ちだろうという謎の安心感に包まれて、満たされた気持ちになりました。
疑う気持ちが消えれば、ただ相手の幸せを願う純粋な気持ちが残ります。
なので、その純粋な気持ちで接します。
すると、相手からの反応もとても良いものになります。
(人って純粋なものに弱い気がするよ。それはきっと、ペットを愛でるときのような、赤ちゃんをあやすときのような、そんな暖かい気持ちになるからじゃないかな。)
つまり、純粋である=愛しかない、のです。
(愛である存在を罵倒することや裏切ることってできないし、そもそも本当に悪い人なら逃げていくと思う)
疑うのではなく、相手の幸せを願えますように。
その方がとっても楽しいのです(*´ω`人´∀`*)